
脳梗塞になった自分の母を任せられる。
働くわたしも心から信頼している脳神経外科病院です。

脳梗塞になった自分の母を任せられる。
働くわたしも心から信頼している脳神経外科病院です。
森口 真由美
| Mayumi Moriguchi
既卒入職
1997年入職 看護科
- オペ看
- 脳神経外科
- 介護経験あり
福岡県出身。1997年に北原グループへ入職。看護科統括として管理業務だけでなく、救急外来から手術室、病棟、海外事業など幅広い業務を行なう。豊富な経験を活かし2017年よりデジタルホスピタルの研究に携わっている。プライベートでは、長期海外出張先にゲーム機を持参する程のゲーム好き。プレイだけでなく観戦も好きで、全国どこへでも足を運ぶ。ゲームイベントに参加するため、ラスベガスまで行ったこともある。
東京女子医科大学附属第二看護専門学校を卒業
東京女子医科大学病院脳神経外科集中治療室に入職
北原脳神経外科病院(現・北原国際病院)に入職


「とりあえず、相談してみよう」
そう自然に思えたんです。
もう10年前のことですが、実の母が突然脳梗塞で倒れたことがありました。
幸い、命は取り留めたのですが重い後遺症が残ってしまいました。
完全麻痺と、失語症です。
娘であるわたしはもちろん介護しなければなりません。
でも、家庭もあるし、看護師としての仕事もあります。
一時は母のいる実家に戻るという考えもよぎりました。
脳梗塞になってしまうと、この先もっと大変なケアが待っていると看護師であるわたしはよく知っていたので。
ですがその時、自分の勤務先である北原のことをふと思い出しました。
「母のこと、話してみようかな?」
些細な悩みや話も真摯に受け止めてくれる病院なので、結果はどうであれ1度相談してみようと思ったんです。

自分の家族も境遇も
すべて受け入れてもらえた。
安堵の瞬間だった。
「うちでお母さんを看たらいいじゃないか。」
職場に相談すると、そう言われました。
転院手続きをして、傍にいてもらえるようにすれば、母もわたし自身も安心な上、色々と楽になると。
そこまで職場に頼っていいのか、少し悩む瞬間もありましたが、当時のみんなは当たり前だというように「実の母を看る」ということを受け入れてくれました。
自分が看護師として日頃いろいろな人を看てきたのに、自分が家族の側になるとこんなにも心強いのかと、じんわり感動したのを今でも覚えています。

北原に気持ちを救われるということ。
実際に母を任せてみて本当によかったと思っています。
言いにくいシフトの相談や休みの調整も、周りのスタッフが率先して気遣ってくれたんです。
私が相談する前に先回りしてくれたおかげで、ちゃんと母との時間を過ごせました。
急性期から回復期までの約半年間、担当医師、看護師、薬局のスタッフまで
多くの人が母をサポートしてくれたんです。
そして、私もそんな北原に救われていました。
母を心配し、さまざまな不安や焦りがある中、常日頃信頼を置いているスタッフが、自分の大切な母を一生懸命看てくれることは大きな心の支えとなっていたんです。
これまでも、北原で働いてよかった!と思う節はたびたびありましたが
この時の安心感と感謝は人生の中でも忘れないと思っています。
1問1答インタビュー
question and answer
-
森口さんにとっての北原はどんな存在ですか?
-
御守りや神社みたいな存在。ここにいるとなんだか出来そうな気がする。みんなでやればなんとかなりそうな気がする。困ったら相談しようと思う。
-
今後はどのように仕事に向き合っていきたいですか?
-
さまざまなプロジェクトや研究を行っていても、国家資格を持つプロとして看護師の役割を現場で果たし続けたいです。仕事への向き合い方は新人の頃から変わってはいないかもしれません。目指せ生涯現役。
-
他にも北原で働いてよかったという思い出があれば教えてください。
-
一緒に働きたいと思うスタッフに出会えたこと。思い出というよりは現在進行形です。